ある判事の死ー山口良忠
ライター:申尙穆(元外交部(省)書記官、現桐山うどんソウル店経営)
本内容は朝鮮日報コラム

1947年11月、日本の新聞にある判事の死を知らせる記事が報じられた。 判事の名前は山口良忠。 34歳の若さで生涯を閉じた彼の死因は栄養失調だった。 終戦直後、食糧不足が深刻な時代だったが、判事が飢え死になったというニュースに、日本人は大きな衝撃を受ける。
当時の日本は「食糧管理法」に基づき米·小麦粉など主要食料品を配給制で運用していた。 かろうじて延命するほどの食糧配給に対し、民衆の不満がは高まるばかり、政府の取り締まりを避けて闇市が雨後の筍のようにできた。 現実とかけ離れた規制と闇市場での取り引きで、食糧の正常な流通がさらに歪曲されると、政府は厳正な不法流通取り締まりを宣布したが、闇市場は静まるところではなかった。
山口さんは1946年から東京地方裁判所で経済事犯を担当していた。 深刻な混乱の中、食糧管理法違反で裁判にかけられた人々があふれ、山口は彼らを法の名で裁かなければならなかった。 山口さんは同年10月、「配給以外のいかなる食べ物も食べない」と宣言したという。 他人に闇市利用の罪を問わなければならない自分が闇市の流通品を消費することは良心に反することであり、自分は判事として恥じのない裁判をしたいというのが理由だった。 配給だけだった山口は、翌年8月に栄養失調で倒れ、療養中に肺疾患が悪化して息を引き取る。
山口判事の死は今も論議の対象だ。 「融通のきかない意地が非人間的だ」と舌打ちする声もなくはない。 しかし、他人を審判する裁判官として、誰よりも自分に厳格で偽りと偽善を警戒しようとした高潔な精神は、日本社会に深い印象を残し、今も司法府の信頼を支える教訓として語られている。 物理力や金力のない司法部が正義の守護者として機能するためには、信頼が命だ。 そして、その信頼は正直から生まれる。

日本の司法の判決の中で強い印象を受けたのが、日本でも広く知られている”大津事件”の裁判である。これは私利を優先すべきか!法律を優先すべきか!の問題ではなく、国益を優先すべきか!法律を優先すべきかの問題で相当議論があり悩んだけど、法律を優先して判断した点では司法への信頼を高めたことになるとおもう。
戦後間もないうちにあった山口良忠判事の死は知らなかったけど
、この死を評価する能力が私にないのが残念に思う。
今の韓国で行われている政治家たちの司法改革云々と言う状況を見ると日本のこういう事例・先人のモデルは羨ましい限りである。