ライター:崔榮黙(メディアトラジ管理者)
定年後、古代史でも読んでみるか、と思ふほど魅力のある分野だと思うのだが、目先知らぬが人の人生。
土曜日夕方のnhk時代劇を見ていたら七支刀が武器として登場するので、あれっ?あれは武器として使うものではないのに、、、と思っても人の想像力は現実を遥かに超える力があるのを実感する。
七支刀は昔授業で聞いたことがあったけど記憶は薄ら、、
調べてみたら、百済から日本へ送ったのは日韓一致してるがその解釈に於いては正反対である。
日本の主張は百済から朝貢したものだと認識してる反面、朝鮮半島では賜物だったと主張してるのが分かる。
韓国の場合は日韓歴史について韓国に不利な主張は仮にそれが正しくても言えない雰囲気であるから客観的に信用することは難しい。日本の場合はすでにそんな時期は過ぎたので正しい真相究明(研究)に期待したいところである。
ただ、大和政権時代に日本が(当時は倭)海外に勢力を伸ばせるほど強力な王権国家が成り立っていたか短い知識であるが疑問に思っている。
疑問の根拠は、日本は海で囲まれた分海外からの脅威に対しては安全だった反面、その分大陸からの文明が伝わりにくい大きな障害でもあったので、、、
中国の大陸で楚漢戰爭が起きたのが紀元前206年だという。
この時期に日本は弥生時代で稲作が伝わり国が形成しつつ200年が経過した時期になる。
その東北部(朝鮮半島北部)に夫餘國があり(紀元前3世紀~494)夫餘國はたまに漢国との間で戦争が起きたという。その時夫餘は戦に勝つために強力な刀生産に力を入れたという。後程建国された高句麗(紀元前3~668年)は漢国と夫餘の影響を強く受けたと推測される。その後韓国の南部にできた百済・新羅がある。百済は特に高句麗の初期貴族が南下して立てたという説が有力で高い鉄器文化を有していたとされている。この三国時代。高句麗は中国大陸の隋と戦いながら南部の新羅と百済をけん制したそうで、新羅と百済は高句麗の脅威に対抗するために協力したとの説もあり、この朝鮮半島の3国時代は戦が後を絶たない時代でもあった。
この時の日本は古墳時代と飛鳥時代に相当する。勿論、稲作が始まった弥生時代から食料をめぐり戦が始まったとされているが、朝鮮半島の3国間の戦にはその勢力が及ばないと考えられる。そんな状況で大和政権が百済を服属させ朝貢をされるほど強力な王権国家だったのか疑問視される訳である。
でも、百済を助けるために1万兵と船舶170隻を派遣したとの記録は凄いと思われる。当時百済から先進文物が沢山伝わったことを考えると百済の日本への朝貢は考えにくいが(否定は出来んけど)、もしそれが可能であれば今のアフリカ部族が北朝鮮に軍事的に勝てることも可能であるとは。
何しろ、今の韓国の事情を考慮するとまともな研究は期待できない状況であると考えている。なので国家主義・民族主義を排除した客観的な研究を日本に期待したいところである。
こうしてみると、フィクションのドラマでも役に立つことも。