反日情緒を乗り越えるには巨視的命題が必要である
反日銅像真実究明共同対策委員会の活動で、日本大使館近くの少女像の前でデモにした時、発言者ごとにメッセージのフォーカスは少しずつ違っていた。
だが、私のメッセージはただ一つだけに焦点を合わせた。 今の韓国の反日感情は、中国と北朝鮮の金氏政権、そして文在寅勢力が一番好ましく歓迎するということだ。
事実上、慰安婦問題なども中共-北朝鮮の企画である可能性が高いという意味を込めて話した。
現実的な根拠もなく、理性も働かない反日感情はむしろ反日精神病だと言った。
昔から考えていたことだが、韓国で最高の政治闘争は近現代史闘争だ。
慰安婦問題、徴用工問題でディテールなファクト究明はそれなりに非常に重要であり、私たちの努力の出発点だが、政治闘争の領域ではもう少し異なるメッセージが出なければならない。
それはすべてのファクトとディテールの総体的な結論と言える巨大談論が出なければならないということだ。 大衆はファクトと論理を持って根掘り葉掘り問い詰める存在ではない。 いや、まず巨大談論によって説得されてこそ、その次に具体的なファクトと論理を覗き始めるというのがより正確だ。
右派はファクトを持って頭を抱えながら戦うが、そうしても何の意味があるのか。もしかすると戦闘で勝って戦争で負ける結果になりやすい。
韓半島近現代史の中心キーワードをつかみ、これだけを粘り強く大衆に話せばいい。 それはまさに近代化の成果をめぐる体制対決という点だ。
近代化という巨大な話題の中では、北朝鮮と大韓民国が同じ民族ではなく、日本と大韓民国の共通点がより多い。
米国-日本-大韓民国になるのか、中共-金氏朝鮮-中共の南朝鮮自治区になるのかを選択しなければならない。
これももちろん容易ではない。 しかし、打撃ポイントがきちんとつかまれば、それからは私たちが努力するだけ成果が出るようになる。 これまではこの打撃ポイント自体が不明確だったと思う。
韓国の現代史を2000年から分けることが出来るのか。
この2000年が韓国の経済と文化が飛躍的に発展した分水嶺になった年ではないかと思っている。
幼い時期の70年代、お盆や新年にテレビを見ると北から南へ来た人たち、所謂離散家族の人たちが北へ向かって故郷を懐かしむ慟哭は幼かった我が心を引き裂けるような苦痛を与えてくれた。その時はどうか南北が統一せねばと思ってた。しかし、現実的には統一できるはずがなかったけど政治家に翻弄し続け後に統一できないと分かったし、離散家族の1代世代が恨(ハン)を抱えたままこの世を去って行った今は統一の必要性すら感じていない。
分断から70年を過ぎ、政治やイデオロギーが違えば同じ民族と言えども同一性を感じるより異質感を感じてしまい、寧ろ政治体制やイデオロギーが同じである日本への同一性を感じてしまうことになった。これは私だけの考え方かなと思っていたがいや!そうではなかった。勿論、今も韓国では反日感情が高いと言えるのだがその中でも有職者を中心に同じことを考えている人がちらほら見えてくる最近である。