高ジョンハクさんの苦労話(2)

質問:それで、その800ウォンを帰ってきてどこに使いましたか?
高:(朝鮮に帰ってきて)長兄の看病のために効きそうな薬を買うために使ったが、そのお金が底をつくと亡くなった。 その病気を看護するのに全部使った。 うちの長兄情けない人だった。 ただお酒だけ飲んで、飲み屋に行ってあそこで暮らすほどだった。
質問)私が聞いたことによると、日本で賃金をきちんと支払わなくて賃金をもらえない人が多いんですよ。 そんな人たちはなぜでしょうか?
高:うーん、私たちと一緒に行った人たちはみんな、一銭も漏れなくもらって帰りました。 遊郭に通う人はお金を使った。 お金を一銭も持って来なかった人がいる。 私はそういうところは興味がなかったのでお金をもらって全く使わなかった。

質問)その遊郭は誰が運営したんですか?
高)韓国人もいるし、日本人もいる。
質問)でも、高さんが徴用に行く時、長兄が行くべきじゃなかったですか? 年上だし?
高)そうじゃない、その家の生計を立てる人は残るんだよ。 働く人がいなかったら、誰がその家の生計を立てるんだ。 妻や母を誰が食わせるんだ、だから一人の人は行かないんだ。(生計を立てる人は行かないという意味)今言えばその人が世帯主だから行っちゃいけない、そんなことだよ。
質問)では高さんは徴用に行ってきた期間がこの面では私に被害になったとか、そういうのがあるんじゃないですか?
高さん)被害か~、その時は日本のために行ったものだから、そんなこと考えなかったな。
質問)では労務管理とかそういうのはどうでしたか? 人の管理をどんな方法で? すごく暴力的だったとか、それなりによくやってくれたとか..
高さん)働く人だから、寒くないように中隊長に大隊長から指示が来ます。 管理をしっかりしてほしいって。
質問)仕事がとても大変ではなかったですか?
高さん)まぁ、ただ鶴嘴(つるはし)を持って石を割って働くだけだから、心配ことする暇がない。 日が暮れると帰って食べてから寝るだけで、他のことは考える必要がないから。

質問)では(隣の村とかで)徴用されて大けがをしたりする人がいなかったですか、また、一緒に行った4人は賃金を全部貯めてそのまま持って帰ったんですよね?
高さん)他の人たちは一銭も持ってこなかった。 私だけ持ってきたね。
質問)その人たちは何にお金を使ったんでしょうね?
高さん)あの人たちは全部使い切ったね。
質問)(作業場で)班長や小隊長、また中隊長はみんな朝鮮人でした? 日本人はいませんでした?
高さん)日本人はいない。 全部朝鮮人だったね。
質問)作業を指示したり、作業を分担する人たちが全部朝鮮人がしていたということですよね? すると、中でも特に過酷に、また、酷くした人はいませんでした?
高さん)いや、別にそういうのはなかったよ。
質問)高さんと一緒に行かれた4人は徴用でもらったお金を一銭も持ってこなかったということですが、高さんは大金の800ウォンも持って来られた秘訣はありますか?
高さん)私は使わなかっただけ。
質問)ハハ、3人は30ウォンもらって遊郭に行ったりほかの使いところがあって、一銭も持って来られなかった、そういうことですね?
高さん)まぁ、その通り。

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徴用に関する部分だけを一部抜粋して読んでみた。
地域に対象人数が割り当てられれば、家庭の事情を考慮して健康が悪かったり、賄賂を使えたりした人は抜けることができ、兄弟が多い家で遊んでいる人、すなわちその家庭の生計と直接関係がない人が主に徴用対象者になったようだ。

指針を下したのは上部の日本人官僚だったが、これを実行したのは朝鮮人下級官吏だった。 (だから強制的に掘って連れて行ったとしても我が民族同士での出来ことだった)
現地での待遇はいい方だったと聞いている。
生活必需品などの普及も良く、月給もきちんと出て。 希望者に限って故郷に送金をしてくれた。
口述者は17ヶ月の徴用生活をしたが、月30ウォンなら全部貯めても510ウォンしかならない。だが、本人は800ウォンと記憶している。
記憶に誤りがあったか、貯めたお金の他に退職金を精算してもらっつあかなと思われる。 口述者本人は無学である
強制拉致や奴隷労働ではなく, 官が主導し貧農を海外就職に斡旋した格好に近い
▦ 原出典:華城市日本による植民地時代強制動員口述資料集3
▦ 出典:ネイバーブログ「百年の歴史CH

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