1998年夏に妻の後を追い来日して暫くはバイトをしながら職を探していた。国を離れてから国の頼りを知らなくなったのだが韓国の超高速インターネット普及率は世界的にも高いとのニュースは聞いていた。それから翌年夏に就職が出来本格的に働くことになった。就職してしばらくたってから国の便りや兄弟親せき及び友人たちとの連絡をするためにもインターネットが使いかった。しかし、現実はなかなか難しく、さらに田舎都市はなおさらだった。
家で最初はモデムを使って接続してニュースを読んだりして、後はisdnを使ってインターネットサーフィンを楽しんだ。この時インターネット接続で流行ったのがasdlだった。私も一応頼んだが結局は田舎都市のインフラが整備できておらず利用は出来なかった。正直、韓国ではインターネット先進国と騒いでいるのに実質的に経済先進国と言ってる日本が高速インターネット接続が出来ないなんて不満を持っていた。でもそれが韓国との違いで、韓国では国の成長戦略の一環として国を挙げて推進した半面、日本の場合は民間任せだったので遅いと理解した。しばらくたって、何年だったか覚えてないけど多分2000年初期だと思うけど、このアパートにも光ファイバによる超高速インターネットが接続ができようになった。しかし、初期加入になるので設備費用を負担しなければいけなかった。それでも一番乗りで手を上げ申請した。ついに念願の超高速インターネットが光ファイバーを利用してつながるようになった。この時は本当に嬉しかった。
初めて高速インターネットに繋がって読んだ資料の中で今も覚えているのは鉄砲の伝来だった。詳しく説明してる内容を読んで参考になったと思った。でも韓国はインターネット先進国だぞ!と思って韓国のウェブ上の資料を調べてみていくうちにあれっ!と思った。思ったより日本のウェブ上の資料の充実さと量に比べて韓国の情報の量と質は本当にシンプル程少なかった。その時はインターネットの先進国と思っていたのに何故情報の量や質が日本より少ないのか!知る由もなかったがそれを知ることになったのは大分時が経ってからである。この時のインターネット使用は主に韓国を中心とした使い方だった。ホームページを作って情報交換をしたい思いで勉強して作ろうとしたけどなかなかうまく行かず、こんな悩みを解決してくれたのがブログだった。2005年は愛知万博が開催された年で、地元の新聞が提供する万博関連情報を翻訳してブログに紹介したら意外と情報を求めてくる人がいて、その情報を参考に万博へ行くという人も現れた。時間が経つにつれインターネットの利用は段々韓国との関りも薄くなりつつ日本の情報を利用する機会が増えることになった。